見ての通り、最近は読書の時間がほとんどない。この日記に日常のすべてを書いているわけではもちろんないが、ここのところ話題にしていないことからも、興味がそれているのは明らかである。
ライブを聴きに行ったり、飲んでしゃべったり、携帯を弄って遊んだりするのもいいが、もう少し密度の濃い時間を過ごしたくなって、ここ数日ばかり、再び読書や将棋にいそしんでいる。
密度の濃いという意味は、すなわち、広げた本の活字と目との距離感であり、そこから想像し構成した心象と、意識との直結感である。また、納得の行くまで何度も前のページを読み返したり、本を閉じ目をつむってしばらく反芻したりする、私的で重層的な体験のことである。
本を読むことで得られるそうした集中感や密接感は、音楽を聴いたり絵を見たりすることよりも、むしろ音楽を奏で、絵を描くことに近いと思う。思う、というのは、自分はどちらもしないからだ。思考を深めたり、空想したり、本を読むということが、自分の内部では自己表現欲求の源と近いところにあって、自分の言動に間接的に反映されている。
そういうわけで、再び読書癖をつけるに当たって、いたずらに嗜好を拡大しようとして興味が発散してしまったのを反省し、好きな作家で楽しくリハビリしようと思った。
藤沢周平はorkutやmixiにコミュニティを作るほど大好きな作家だが、惜しいことにもう亡くなってしまったため、次々と読んでいくとすぐに読み切ってしまう。それがこわくて、敢えてまだ手を付けていない作品がたくさんある。今回はその中から一つを選んだ。(身を切るような思いだ)
- 藤沢周平「風の果て(上)」
部屋住みの軽輩の子、上村隼太がいかにして首席家老にまで登り詰めたのか、かつての同輩、市之丞から果し状が届くに至った経緯は何か。ゆっくりと、現在と過去を交互に描写しながら進んでいく展開がたまらない。ここまで時の流れを真に迫って感じさせてくれる作家はなかなかいない。よく言われる、周平作品の登場人物の二重性が鮮やかに現れ、武家社会の矛盾や悲哀をときに鋭く、ときに優しく描く。
ああ、やはり俺はこの作家が大好きだ。おかげで老境の心情にいたく共感し、言葉の端々にそれがにじみ出てしまい、気がつけばお会いするまでだいぶ年上かと思ってましたなどと言われている始末。
藤沢周平さんの本を全部読み終わるの嫌ですよねー。同感っす。でも読まないと他の人の感想とかにコメントできないなぁーと思って、最近私も必死で読んでます。同じ本を一生に何回でも読んでやる!って。
実を言うと、まだ読んでいない本の感想を読むのも嫌なんです。大事な、作品との触れ合いの前に先入観は持ちたくないから、見て見ぬふりをしてすぐに忘れます。
同じ本を何度も読むんですが、やっぱり本質的には一期一会だと思うから、最初はまっさらな気持ちで、自分で勝手に想像した期待を膨らませて一ページ目を開きたい。
ま、すばらしい書評はつい読んじゃったりするんですけどね…。
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