タイピングの話 (1)

投稿者: | 2007年3月1日

 自分がタイピングをするときの頭の働き方を考えてみる。文章の場合は、打とうとする語やフレーズを先読みし、指の一連の動きをある程度頭の中に組み立てながら運指しているように思う。組み合わせが膨大なため、自分なりに単語をさらに分解して、イディオムとして手が覚えているアルペジオパターンを活用して高速に打鍵する。僕の場合はter,tio,oin,shiなどを一連の動き、アルペジオとして捉えていて、日本語の場合はあまりかバッファできていないとは思うが、多くの音素を手が記憶している。

 一方、ショートカットキーやコマンドシーケンスの入力は、文章の場合とは異なり、多くはシーケンス即イディオムになっている。こちらは圧倒的にパターンが少なく、同じシーケンスを数多く反復することが多いためだろう。頻度の高いものほど、頭で考えずに反射的に打っている。

 ここまで考えたときに、伝統的なショートカットキー割り当ての偉大さを再認識する。つまり、保存,印刷,終了といった、頻度がさほど高くなく、かつある程度の思考判断を前提とする機能にMeta+S,P,Qといった言語思考寄りの頭文字キーを当て、一方でやり直し,カット,コピー,ペーストなど、頻繁に使うカジュアルな機能にMeta+Z,X,C,Vという空間認識寄りのキーを当てているのだ。WordStarのダイヤモンドカーソルもしかり、秀逸だったと今なお思う。

 Emacsが、デフォルトのキーバインディングは頭で覚えるにはいいけど実はあんまりよくないよ、と言っているのもそこだろう。Emacsを知らない読者のために象徴的な例を挙げれば、上下左右の移動がPrevious,Next,Backward,Forwardの頭文字を取ってMeta+P,N,B,Fになっているのである。人には教えやすいし、頭で理解するにはいいのだが、配置上今ひとつ打鍵効率はよくないし、淡いながらも余計な思念が入ってくるのが煩わしい。気がつけば、Ctrl+Fを押しながら「前(F)、前(F)」、Ctrl+Bを押しながら「バック(B)、バック(B)」などとかすかに思っている自分がいたりするのだ。

 その点では、viバインディングもh,j,k,lのカーソル移動以外はほぼ同罪で、機能に対して位置でなく意味をリンクさせているために、初期習熟のハードルは相対的に低く、慣れればもちろん十分高速に操作できるものの、やはりどこかに雑念が混じってきて、脊髄反射の超絶性を得るには至らない。無用な思念を排除し、目的と操作と直結することを究極の目標とするならば、突破できない壁がそこにそびえ立っているように感じる。もちろん、思考にそこそこ追従してくれればいい、というのは確かにそうなのだが。

カテゴリー: Tech

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