ピン雀荘で奮戦

投稿者: | 2004年8月21日

 線路沿いに自転車を走らせて、T崎さんがよく行くという吉祥寺の某雀荘に飛び込んだ。ここ二回ほど行った所とは明らかに雰囲気が違う。

 まず、客層が違う。学生っぽい客はほとんどおらず、オヤジ、バーのママ、ご隠居さん、そして中堅サラリーマンといったところ。

 客層の違いを説明するのは動く金額が違うことだ。レートは0.5に比べてただの倍だが、チップは5倍の500円だ。千円札はほとんど紙という感じで、あがりごとにせわしなく飛び交う。

 最後に、店員の本気度が違う。年季の入ったオヤジ店員達が、ものすごい闘牌をして本気で取りに来る。もちろんこちらは客であるから、ドリンクやフードのサービスはするし、崩牌の粗相や長考などには極めて優しいが、勝負に関してはまったく妥協しない。それがおもしろい。(・∀・)

 初回なので、まずは様子見に徹した。負けてもそれは授業料だ。まずは打ち筋の傾向を見定め、御祝儀麻雀の雰囲気に慣れて打ち方を習得しなければならない。

 しかし、予想に反して慣れるのに非常に時間が掛かった。いつもだと、親をケアしつつ、食い仕掛けの子がいればそれを警戒し、もう一人の子と共に捨て牌を絞りつつたたかうということが多い。だが、御祝儀がでかいと誰でもダマで御祝儀5とか10のチャンスがあるので油断ならない。そういう麻雀なので、ダマでいけないと見るやすかさず食い下げて早上がりという手際に長けた猛者ばかり。

 結局朝まで10時間ほど打って、2,3回しか打ち込んでいないのに手持ちの200が溶けてしまった。バカづきのおっちゃんが強くて、親三倍満だの親っぱねだの子倍満だのをツモりまくってがっぽり儲けていた。450くらい稼いだようだ。技術では全然負けた気がしないのに、結果の差は歴然だ。

 福本伸行のギャンブル漫画の通り、ギャンブルにおける手持ち資金というのは張れる限界であり、負けられる下限という意味でのバッファであり、金額の多寡というのはまさに感覚としては目盛りのようなものだ。

 久しぶりのギャンブル体験に気持ちよく脳を灼かれつつ、富士そばで朝食を取ってからまた戻った。よし、今日は徹底的に灼かれようじゃないか。

 後半戦は、まったくと言っていいほどつかなかった。聴牌が遅く、聴牌して切った牌をダマで当たられるし、読みはいつものごとく安定していてひどい手を打ち込んだりはしないのだがじわじわとツモられて御祝儀を取られた。

 ついに打ち方がわかってきて、デカい二着とトップを取ったところで打ち止めにした。気がつけば24時間連続闘牌!

 戦績はというと400ほど溶けたのだが、半分以上の250ほどが場代なので、そう悪い成績でもない。授業料としても妥当なところだろう。むしろ、ツキのない中で周りのことがよく見えたのは収穫だった。

 ひとつ気に食わなかったのは先ヅモ黙認というマナーの悪さだ。もちろん店員や上品なマダム客は先ヅモなどしないが、常連のオヤジ連中は平気で先ヅモしまくりだ。中に入れる奴までいて怒りがこみ上げて来る。さすがにそういうひどいのは他の常連や店員が注意するが、ゲームとしてつまらなくなるので厳禁としてほしい。早く進行するので負けているときはチャンスが増えてそれなりにありがたいが。

 次は、一度に取り返そうなどとは思わず、勝っても負けても数半荘ずつ楽しもうと思う。まあ、いろいろあったけど楽しかった!

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