まとめ。
詰まされる玉方は必死です。詰まされないよう、詰まされるにしてもできる限り攻方の手を煩わせるよう、純粋に追求します。「煩わせる」の基準は、手数が長くかかるよう、同じ長さなら駒を余らせないよう、ということです。
「攻方も最善を尽くすべし」と書いてある本も多いのですが、正しくは「玉方は攻方の最善を想定すべし」です。上の33飛成23合の変化の24金のような手が出てくるのは、変化というのは玉方の読み筋だからです。最善を義務づけられた玉方は、攻方のすべての手を読みに入れた結果33同馬と取るしかない、その根拠は23合だと攻方には24金という手があるからですよ、ということです。
もし実際に玉方が23合と指したとしたら、攻方は口笛でも吹きながら14金打と指すかもしれません。それは攻方の自由です。攻方はとにかく玉を詰ませばいいんですから。
自分勝手な読みではなく、常に相手の最善最強の応手を考えること。それが勝負の真髄だとすれば、詰将棋を解くことは二重の意味でその練習になっているかもしれません。なにしろ、自分が詰める側に立って考えつつも、こちらの最善を読んでくる相手(玉方)の立場にも立って考えるわけですから。