mahoさんの自己責任論についての批判に全面的に賛成。今や一億を超える人間がいて、数十兆円という国家予算、十兆円を超える貿易黒字を稼ぐ民主主義経済大国日本において、最近のあまりに狭量な一部世論の風潮は嘆かわしい。成功者に優しく失敗者には厳しいという裏表の激しさにもほとほと呆れはてる。
若い冒険家や親子何代という登山家が高い山の登頂に成功したりすれば拍手喝采する一方で、ベテラン冒険家がヨットでの太平洋横断に失敗して遭難信号を出せば迷惑をかけるとはけしからん、と来る。いや、むしろ彼の方から委縮してしまった。同じ戦地イラクに出向いても、人質に取られて政府によって救出されたのちに「またイラクで活動したい」と言った方にはバッシングの嵐、その場で銃撃されて殺されて「故人の遺志を継いで戦争の犠牲者の少年に目の手術を受けさせよう」と言った方には暖かく同情的なまなざしが注がれる。まあ、家族の対応の違いというのもあったが。
救出や援助に掛かる費用が、いったい国家予算80兆円のうちのどれほどだろう。いや、たとえ貧乏でも、誇りと信念があればそうした負担を惜しんだりはしない。たかだか数人、数十人、じゃないか。異論はあろうが、多くの人々に代わって勇気を持ち信念を貫いて行動する稀有な人達だ。ケチケチ言わずに応援してやればいいじゃん。
安全な枠の中にいれば大丈夫なんだから身勝手な行動で周りに迷惑をかけるな、みたいな、平和ボケ*1、日和見、事なかれ、出る杭は打て主義の蔓延は憂うべきことだ。これが、「お上の言う通りにしておけばいいんだ」「人と違うことをするのは身勝手だ」「おとなしく周りに合わせろ」などと言い方を変えれば反発を覚える人も多いはずなのだが、言葉を超えた無言の圧力が社会やそこに生きる我々の間にはびこっているのだろう。治安の維持という観点では都合がいいが、その分、枠を外れた人々に対する異様なまでの厳しい非難として噴出したのでは、単なる狭量、偽善というべきだ。
現実ずれしたエリート官僚に政治を牛耳られ、それを報道するのもサラリーマン集団のマスコミ、という中で、無抵抗に世論をあらぬ方向へ誘導されてしまうのはどうかと思う。