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精神の文化

 社団戦前のスパーリングのために母校へ。やはり、本物の盤駒と相手を前に指すと、謙虚な気持ちになるのがいい。ネット対戦だと相手に対しても不遜な気持ちを持ったりして、気づけばぞんざいになっているからなあ。

 先日、テレビで弓道のドキュメンタリーをやっていたので見た。外国人の弓道家が八段の試験に挑戦する話だったが、一糸の乱れもない心で所作をこなし、泰然と構え、的を見ずに無心で射る、というところで思わずうなってしまった。剣士や柔道家の話を聞いてもそう。日本の伝統文化というものは、ひとつひとつが技術に精神性や哲学を込めた「道」であり、身につける、というよりもむしろ身を置く、という境地になっている。道具や技を使いこなすのではなく、自らを道具とし、澄み切った心をもって精神的価値観に基づく業(わざ)を体現するのである。

 機械には生み出し得ない、人間としての究極は何かといえば、精神性であり、哲学である。技術をよく活かすも悪用して殺すも、使う人の心ひとつ。自分の境遇に幸福を見いだすか不幸と嘆くかも、心の有り様ひとつ。

 僕は、とてもいい文化を持つ国にうまれ、生きてきた。これからも、心の時代が叫ばれる中、吹けば飛ぶような将棋の駒を通じてどれほどのことが学べるか、計り知れない。

 ところで、あの弓道家はとても達筆だったので驚いた。俺もペン字をまじめにやらなければいけないな。楷書はちゃんと書けるけど、崩し方が下手くそで格好悪い。よし、やるぞ!(って、半年くらいToDoに掲げっぱなしの末に消しちゃった罠)

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