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同じ人間、違う人

 差別という話題はなかなか難しいが、ここでは個別の話題から離れて、人を理解する、ということにフォーカスしたい。

 人を理解するということは、共通点を知ること以上に、違いを知るということかなと思う。僕がつまらないと思うのは、一方的な人付き合い。「〜って知ってる?」「〜見た?」みたいに、一般的な興味を介在させた馴れ合いにとどまり、共通点を見つけると「趣味が合う」「価値観が合う」などと喜ぶが、人の固有の性格や趣味にはほとんど関心を持たない人。唐突に「それって誰の真似?」などと聞き、個性を無視する人。本当につまらない。

 同じ馴れ合いなら、理解した気になりたいし、理解された気になりたいよ。付き合いがその場限りに終わったとしても、なにがしかを吸収できたと自分の中で「片付く」し、相手にとっても同じだろう。中途半端だったら、もう「忘れる」だけで何も残らない。それも時にはいいけど。

 差別について言えば、同じハンディキャップを背負った人たちでも、事情が違えば思いも人それぞれだろう。そして、人の心境というのは段階的に変わるものだ。劣等感あるいはショックに苛まれ、過去の自分あるいは他の人と変わらず接してほしいと思うときもあれば、ハンディキャップとともに生きてきた自分をハンディキャップもひっくるめて受け入れてほしい、と思うときもあるだろう。あるいは、そもそも同情も理解も一切を拒否するという心境だってある。

 でも、もし理解を望む人がいるとして、まずあるべきは違いを知ることだと思う。病気や障碍あるいは歴史について多少なりとも調べ、また直接教えてもらう。それなしに「障碍者だから」とか「不当に迫害されているらしいから」という理由で反射的に、理解もせずに特別扱いを避けようとしたりするのは欺瞞でもあるし、肝心のことが抜けていると言うべきだ。「差別はよくない」の標語で思考を止められてしまってはいけないね。身近なところから、個別に考えるのが一歩と思う。

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